イタリアの職人さん達
2009年 05月 03日
まだ展示会中です。長い・・・
この展示会でほとんどの人が私たちに尊敬語で話しかけてきてくれています。
マエストロは分かるのですが歳の若い私にまでそうでした。
語学学校では尊敬語まではあまり時間を取って教えないため普段から使い慣れていないと
なかなかうまく話をすることが出来ません。
普段マエストロと話をする時は尊敬語なので自分が話をするのはいいのですが使われる立場になることは、ある程度良いレストランやお店、ホテルに行かない限りあまり無いので最初はかなり違和感がありました。
これは職人という職業がしっかりと尊敬されているのだととても感じました。
日本ではデザイナーの下に職人がいるという感覚がすごく強いような気がします。
しかし、いいモノというのは職人とデザイナーとの切磋琢磨の中ではじめて生まれます。
そしてそれを評価し、購入する消費者がいて流通が成り立ちます。
信長や秀吉の時代には数奇者と呼ばれるすばらしい目利き達がいました。
今の日本では残念ながらいいモノを評価出来る目を持っている人は非常に少ないと思います。
ルネッサンス・フィレンツェでは最高の芸術家、職人、そして非常に厳しい目を持ったパドローネ・メディチの絶妙なバランスですばらしいものが生まれました。
先日ある方に話を伺ったところイタリアでもこのバランスをどんどん失いつつあるとのことでした。
しかし、この展示会でまだまだイタリア人の職人に対する良い意識を感じることが出来てとても嬉しく思いました。
この展示会でほとんどの人が私たちに尊敬語で話しかけてきてくれています。
マエストロは分かるのですが歳の若い私にまでそうでした。
語学学校では尊敬語まではあまり時間を取って教えないため普段から使い慣れていないと
なかなかうまく話をすることが出来ません。
普段マエストロと話をする時は尊敬語なので自分が話をするのはいいのですが使われる立場になることは、ある程度良いレストランやお店、ホテルに行かない限りあまり無いので最初はかなり違和感がありました。
これは職人という職業がしっかりと尊敬されているのだととても感じました。
日本ではデザイナーの下に職人がいるという感覚がすごく強いような気がします。
しかし、いいモノというのは職人とデザイナーとの切磋琢磨の中ではじめて生まれます。
そしてそれを評価し、購入する消費者がいて流通が成り立ちます。
信長や秀吉の時代には数奇者と呼ばれるすばらしい目利き達がいました。
今の日本では残念ながらいいモノを評価出来る目を持っている人は非常に少ないと思います。
ルネッサンス・フィレンツェでは最高の芸術家、職人、そして非常に厳しい目を持ったパドローネ・メディチの絶妙なバランスですばらしいものが生まれました。
先日ある方に話を伺ったところイタリアでもこのバランスをどんどん失いつつあるとのことでした。
しかし、この展示会でまだまだイタリア人の職人に対する良い意識を感じることが出来てとても嬉しく思いました。
by lunapienabytaka
| 2009-05-03 07:40
| 展示会